あおくんときいろちゃん

書籍名 あおくんときいろちゃん
著者名 レオ・レオーニ
藤田圭雄
出版社 至光社
発行 1972—73

 

 

織茂恭子さんのはじめての絵本、ぺっこんと同じように、この本もぼろぼろです(笑)

子どもたちの大好きな絵本というのは、
このようにぼろぼろになるのが普通で、
これが、絵本として生まれてきた
彼らの勲章のようなものです。

さて、レオ・レオーニというと、
日本ではスイミーが有名ですが、
この絵本が生まれた経緯というと、
ある日、ピポとアンという2人の子どもの
面倒をみなくてはならなくなった
レオーニ氏が切り絵で子どもたちを
もてなした(どうにかして機嫌をとるためだったと言われている)
という記憶があります。

一体その話を何故私が知っているのかと
考えていましたが、
絵本を開くとこの時代の絵本には、
訳者による解説が載っていました。

おそらくそれを母が私に読んで
聞かせてくれたのでしょう。

父がデザイナーで自由が丘に事務所がありましたから、そんなイメージを持っていました。

仕事で使うために、事務所には沢山の図鑑や、沢山の色鉛筆や、沢山の色のマジックペンがあり、土日に事務所に行くときは、父もよくそれを使わせてくれました。

レオ・レオーニもそうやって
退屈する子どもたちを前に、

紙を切って、あおくんときいろちゃん

というキャラクターを生み出して、

笑わせてくれていたのだと思います。

🟩子どもを目の前にせずして、

絵本を作っていくのは、なかなか難しい。

と、私は今、感じています。

この絵本は、

大人と子どもとのコミュニケーション

手段という役割を果たしました。

ピカソのキュビズムもそうです。

さまざまな難しい解説はありますが、

キュビズムは、

………

わたしは子どもらしい絵を描いたことがない。子どものときからただの一度もない

………

という、ピカソの天才故の

苦悩から生まれました。

なのでピカソの子どもたちは、

商業絵画を描かない育て方をしました。

なぜそんなことをしたのかといえば、

子ども時代には子ども時代にしか

味わえない人生があるから、

なのでしょう。

🟩きいろ

私が初めて発した言葉は、

ママでもパパでもなく、

きいろ と いや

でした。

今の時代ですと、

発達障害にされてしまいそうですが、

言葉を発する前から

この、あおくんときいろちゃん

を、読んでくれていたおかげです。

🟩東京駅丸善

上野で毎年開かれる

光風会展や日展に出品していた母が、

展覧会の帰りに画集を探して

東京駅の丸善に立ち寄りました。

画集のコーナーには下の階に行く

エスカレーターがあり、

それを降りると、

絵本・児童書のコーナーがありました。

そこでパラパラ絵本を見ては、

ふーん、と思って買って帰る。

🟩あおくんときいろちゃん、一冊750円

サラリーマンの初任給が7万円の時代の話です。

我が家は、お金がなくて八百屋さんに支払いを待ってもらったというエピソードがある家族ですが、要するに、

何にお金をかけるのか?

という親の価値観を

この絵本から垣間見ることができました。

🟨あおくんときいろちゃんは、

名作中の名作です。

今も本屋さんに売っています。

よかったら、手にとってみてください。

それでは、みなさん、今日もよい一日を😊✨✨✨